一緒によりみち

発語なしの3歳児/自閉症スペクトラム/発達障害/ 療育園生活の記録

【はじめまして!】

はじめまして!

だーぱんと申します(*^▽^*)

 

もうすぐ4歳と1歳の兄弟の子育てをしています。

33歳主婦です。

バリキャリってほどではないですが、

仕事大好き人間でしたが出産を機に専業主婦になりました。

両立が難しい職種だったことと、

夫は輪をかけて仕事人間で忙しく、サポートしたいと

思ったのが大きな理由です。

現在は主婦業をメインに、在宅でパソコンをつかってお小遣い稼ぎをしたり

しています。

 

ーブログははじめようと思ったきっかけー

長男が自閉症スペクトラムと診断がつく前、

(特に1歳半健診の前後)

私はいわゆる「検索魔」と化していました。

 

発語、指差し、バイバイをしない・・等々

ネット中の情報を読みあさり、

検索してはヒットするブログやまとめ記事を

何度も何度も 繰り返し読みました。

何回読んでも現実は変わらないのに。

 

そうして、

頭と心の整理をつけながら、

いろんな方の考え方を理解し、

納得できる情報を取り入れながら

なんとか、少しずつ前を向くことができました。

 

情報が多くて余計に考えこんでしまう事もありましたが、

「知れる」ということは

大きな安心材料になる、ということを実感しました。

 

たくさんのママやパパのブログを読んで

今ここに立っている私。

今まさに不安な気持ちをかかえ、

スマホやパソコンに向かっている人に向けて

発信したいことがたくさんあり、

それを伝えるために、今日からブログをはじめることにしました。

 

ー長男のことー

これからブログを書くにあたり、

長男のニックネームがあれば書きやすいのでしょうが、

いいニックネームがまったく浮かばないので

当面「長男」とします。

 

長男はもうすぐ4歳。

コロナが世間を騒がせているこの春、

療育園の年少クラスに入園します。

昨年度は普通の幼稚園のプレに通っていました。

 

1歳半健診で、大勢いる親子のなか

我が子だけ私の膝の上に座っていることもできず

会場である部屋を飛び出し階段をのぼったり降りたり。

「1歳台の男の子って、こんなもの」

と思って育ててきた私ですが

その日は衝撃の1日となりました。

 

女の子は特に、その成長に驚きました。

半年前、一緒に健診を受けたあの子も、あの子も。

ママのそばで静かに座って

絵本を指差してママに何か話しかけたりしています。

 

その頃の長男は、癇癪がひどいわけでもなく、

特に育てるのが大変だとは思っていませんでした。

 

発達については、

後になって、夫や祖父母から

「目が合いにくいと思っていた」と聞かされましたが、

私は一度も思ったことがありませんでした。

 

今もあの頃の写真を見返すと、

カメラを向ける私のほうをしっかり見て

笑ったり見つめたりしている写真ばかりです。

スキンシップも大好きです。

 

ただ、

  • 名前を読んでもあまり振り向かない、
  • バイバイなどの模倣をしない
  • 発語がない

事は少し気になっていました。

 

でも、遊びに集中しているから耳に入らないんだな

とか、真似っこ遊びに興味がないのかな、とか

楽観的に考えていました。

 

それで

一歳半健診はどうだったかというと、

眠たい時間と重なっていたし、問診の前にフッ素塗布という

順番だったこともあり、

不機嫌すぎて検査らしい検査ができませんでした。

 

検査の内容はこんな感じです。

  • 積み木(保健師のやることを真似る)
  • 応答の指差し(絵を見せて、「○○はどれ?」)
  • 聞き取り(発語の有無など)

 

長男と同じように、お昼寝の時間とかぶる子も多く、

泣いたり人見知りをして検査できない子も何人かいました。

私たちは、保健師に「ちょっと眠くなっちゃったね。できないかな〜」

と言われあっさり終わりました。

 

次に、小児科医の診察ブースへ。

3人くらい医師がいて、ランダムに当たるのですが、

あまり感じが良さそうではない年配の男性医師にあたりました。

 

発語がないことを伝えると、

アンパンマンも言わない?」←言いません。

「テレビを見ながら踊ったりする?」←しません。

 

言葉を話はじめる時、「ママ」とか「アンパンマン

とか言う子が多いらしいですね。

(ちなみに”アンパンマン”ってどのタイミングで覚えるのでしょうか。

我が家はアンパンマン避けていたわけでは全然ないですが、

テレビやDVDで見たことなかったですし、

キャラクターもののおもちゃが少なかったので、

長男はアンパンマンの存在すら知らなかったと思います)

 

終始眉をひそめていた男性医師ですが、

最後に、長男に向かって「ばいばーい」と手を振ります。

医師をじっと見つめ、特にリアクションをしない長男。

 

「バイバイもしないのはちょっと・・おかしいね」

 

この日一番傷ついた言葉でした。

(おかしいって・・・)

 

問診が終わって再び保健師さんと話。

2歳くらいまで話さない子もいるし、

様子を見ましょうということでしたが、

「お母さんはこの子の発達についてどう思われますか?」

と聞かれ、

「特に育てにくいとは思いませんが、言葉が出ないのは気になります」

と答えました。

「そうですよね。では市がやっている親子教室に

通ってみますか?」

という流れになりました。

指摘ではなく、質問して

こちら側から心配事を言わせる感じ

かな?と思いました。

 

そりゃそうですね。

発達についての指摘も、

言い方によっては反発したくもなりますし、

保護者が聞き入れなかったら

そこで支援は途切れてしまいます。

慎重に言葉を選んで対応する側も大変だと思います。

 

そこからの流れは、ざっくりになりますが、

 

市の親子教室に通う

→約1年で卒業(もう少し通って、とか言われる人もいる)

→幼稚園の3歳児クラスに入園

→1学期中に、担任から気になるとの指摘がある(集団行動ができない)

→市の巡回相談に申し込み

 同時進行で個人開業の発達専門医を受診

→すぐ診断がつく。療育をすすめられる。

→幼稚園と併用する

→療育で劇的な変化が見られるということもなく、

幼稚園のクラスでどう見ても浮き始めたため療育園一本へ。

 

という感じです。

 

自閉症スペクトラムの特性のなかでは、

 

  • 言葉の発達が遅く、コミュニケーションが苦手

が一番当てはまります。

 

「こだわりが強い」という特性もよく目にしますが、

これって結構わかりにくいですよね。

どの程度から「こだわり」なのか?

強いと言われれば強いし、普通と言われれば普通って

今でも思います。

 

この服じゃないと着ないとか、極端な偏食はなかったですが、

トミカとか、おもちゃのパーツとか、小さなものを

いつも手に握りしめていたのがこだわりと言えば

こだわりでしょうか。

今もいつも手に何か持っています。

そうすると落ち着くようです。

 

他の方のブログでよく拝見していましたが、

ミニカーをきれいに並べたり、横から見たりは

なかったです。

その場でクルクル回ったり、逆さバイバイも

やりませんでした。

 

乳児期は、人見知りはしませんでしたが、

一応私がいないと泣いたりはしたので、

特に問題視はしていませんでした。

 

親子教室に通いはじめたころで、印象に残っているエピソードがあります。

 

毎回10組くらいの親子が参加していたのですが、

一番ベテランで教室を仕切っている心理士さんが、

帰りぎわ私だけを呼び止め、真剣な目をして

「支援センターに行ってね」と一言だけ言って去って行きました。

 

なんで私にだけわざわざ?支援センター?どういう意味??と悶々としました。

支援センターは、たまに行っていましたが、

支援をする、というよりただただ遊具で遊ぶ広場みたいな感じ

だったので、余計困惑しました。

その心理士さんはその日を最後に退職だったようで、

真意はわからないまま会えずじまいでした。

 

今思えば、

見る人が見れば、長男は療育を受けるべきだと

すぐわかる状態だったのかな・・・?

 

でも、一歳半健診で引っかかった子が2歳で

受けるフォロー健診があるのですが、

その時診てもらった専門医には

「話している人のほうを目で追っているし、

大丈夫でしょう」と言われ、一旦支援は途切れました。

 

本当に、自分の子供を客観的に見るというのは難しく、

わからないものです。

 

子供が発達障害があるとき、母親はかなり早い段階で

「何かおかしい」と直感で気づく、と言います。

私は、「何かおかしい」とは思いませんでしたが、

ネットで見た”発達障害の子の特徴”を読んで、

「あれ?うちの子当てはまってる・・・」が

苦悩のスタートでした。

 

そんなこんなで始まった「発達障害と共に生きる日々」。

診断から幼稚園時代は飛ばしして、

療育園入園からの様子をくわしく書いていこうと思っています。

 

 

ざっくりとですが、

私たちの自己紹介でした。

こんな私たちですが、どうぞよろしくお願いいたします😄